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迷信

ある時、寺の住職と小僧さんが餅を焼いておりました。

するとそこへ用事でやってきた檀家総代が、これを見て「何ということを。今日は厄日で、こんな日に餅を焼くなんてとんでもないことですよ」と言うので、住職は「いやー、そうでしたか」と言って、小僧に命じて餅を片付けさせました。

そ して、ひと通り話が済んで総代が帰ると、住職はまた小僧さんに餅を持ってくるように命じ、再び餅を焼き始めました。小僧さんはビックリして、「さっき、総 代さんが今日は厄日だと言っておられましたよ」と言うと、住職は「ああ、厄はさっき帰っちゃったよ」と言ったそうです。

仏法では、道理に適った「正信」に対して、このような厄日だとか、縁起が悪いといったものはすべて「迷信」としてそういったものに囚われてはならないと説いています。

し かし、現実には世間一般の仏教行事の中にはかえって数多くの迷信があふれているように思えます。例えば「友引」の日には葬儀を行なってはならない。なぜな ら「友を引く」からだとか、実にまことしやかに言われていますが、この語源は「共引(引き分け)」から来ていて、「友を引く」などと言う意味はもともと全 くありません。語源を辿るまでもなく冷静に考えればこれが単なる語呂合わせの迷信に過ぎないことは明白なのに、なぜか人々はこういったものについ囚われて しまいます。

そのほか、葬儀の時の花は白色であるとか、ご遺体は北枕にするとか、口には末期の水を含ませなければならないとか言われます が、これらもお釈迦さんが亡くなられた場所が、白い沙羅双樹の林の中で、体を北向きにされ、亡くなる直前に水をお飲みになったことから来ています。お釈迦 さんの徳を慕い、葬儀の際にお釈迦さんと同じような状況を演出しようとしたのがそもそもの始まりなのですが、これが「しきたり」として定着し、さらに時間 が経って次第に「迷信化」してくれると、そうしなければ災いがあるとか、成仏できないとかメチャクチャな話になってきます。もし南向きで亡くなられたら 「南枕」になっていた訳で、北向きに意味があるわけではありません。

仏法に不思議無しで、こういった妙な「しきたり」に対しては、それがどのようなところに由来しているのか、また単なる迷信ではないかをよく見極めた上で行動して行く必要があるように思います。

お釈迦さんの時代にこのような「しきたり」が存在しなかったように、そのようなものが全く存在しないのが本来の姿です。

とはいえ、ことごとく「それは全くの迷信です」と切り捨てて、角を立てて回るのではなく、この餅焼きの住職のように、よくわかった上で「いやー、そうでしたか」と状況に応じてはそれに従い、かといって本人はそういったことに全く囚われていない境地が必要なのだと思います。

東照寺 住職:出口 鉄城  DATE:2014/03/20

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